曲者の心-おじさん

関わった人をみんな不幸にするおじさん

フランスおじさんは、色々問題のある人だけれど、お互いの努力や歩み寄りで、良い関係を築いて行けるのではないかと、ずっと頑張って来た。
自分が悪いのではないかと、自分自身を見直す努力もしてみた。
固定観念で男とはこういうものだと決めつけ、その枠の中におじさんを押し込もうとしているのではないかと、違った目で見る努力もしてみた。
自分の器量が狭いのではないかと、もう少し心を広く持とうと努力したり、我慢したりもした。


でも…、
何をどう見ても、どう考えても、どう我慢しても、ダメ男ってのは、ダメ男のままなんだろうなという気持が強くなって行くだけだった。
やっぱり普通の人間関係を築けないんだろうなと、今、ほぼ、諦めの気持で満たされている。

おじさんは、自分が人との付き合い方に問題があるとか、部屋の様子や仕事の仕方など、様々な状況が人と比べて、かなり低いレベルにあるとか…、そういった事は、わかっているらしい。
わかってはいるのに…、どうにも変われないらしい。

以前、こんな事を言った事がある。
「いくら何でも、おかしいのではないのかい?自分の周りを良く見てご覧よ。おじさんと関わった人は、みんな不幸になって、離れて行ってやしないかい?」
「自分が言っている事、やっている事は、何なのか、自分で考えてご覧なさいよ。あまりにも自分勝手ではないかい?」

すると、おじさんは、こんな返事をした。
「そうね。私と付き合って幸せだった人は、いないね…。」
「私は、エゴイストだと思うね…。」
…わかっていても、何も変えようとはしない。


…だめだな。このおじさんは。
これ以上関わると、どんどん私が不幸へと突き進むだけだな…、そんな風にしか考えられなくなってしまった。

すると、おじさんは、私が変わった事に不安を感じ始めたらしい。
「悪い事したな〜。よく我慢したな〜。」
そんな事を考えるようになったらしい。

「私は、反省したね。」
…らしい。

私は、今後のおじさんに期待して、「おじさん、ありがとね…。そんな風に考える様になってくれて、嬉しいよ。」
…なんて、言ったのが先週。


でも、なんにも、ちっとも、これっぽっちも…
…変わる気配がない。
…やっぱり、だめなんだろうな。…このおじさんは。

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初めてあった、古い友達

フランスおじさんと出会ったのは、あるパーティだった。
そのパーティは、紹介制で、私は、知り合いの紹介者とそのパーティへ出席し、おじさんも、紹介者と二人で出席していた。

ウエイティングルームで、その知り合いを待っていたけれど、中々来ない。
仕方なく、誰かと話をして待っていようと思っても、グループで固まっていて、とてもでないけれど、声を掛けられる感じではない。
とても閉鎖的な雰囲気がする会だった。

変な感じの人たちだな〜と思って、回りを見渡すと、地味で真面目な感じの外人さんと目があった。
…一人でいるのは、あの外人さんしかいない。

知り合いをもう少し待つか…と、ウエイティングルームの外にあるバルコニーをひと回りし、知り合いは、まだ来ていないな〜と、周りを見渡すと、また、先ほどの外人さんと目があった。
…やっぱり、一人でいるのは、あの外人さんしかいない。

一人でいるのは、あの外人さんしかいなくても、話しかけるってのはどうかな〜?と思って、またまた、バルコニーをひと回りし、知り合いは、まだ来ていないな〜と、周りを見渡すと、またまた、先ほどの外人さんと目があった。

…どうしても、やっぱり、一人でいるのは、あの外人さんしかいない。

仕方ない、あの外人さんと話をするか…、と声を掛けた。
とても地味で真面目で堅くて…、安全な感じのおじさんだった。

その後、別の部屋でミニコンサートみたいなものがあり、おじさんと一緒に見て、部屋を出ると、お互いの紹介者が来ていたので、そこで一旦バラバラになり、パーティでは、最初別行動をしていた。

でも、飲み物を取りにカウンターへ行こうとすると、途中で、「ハ〜イ!」とニカッと笑い、私に声を掛けるおじさんがいた。
その笑い方が、何となく、“紳士”とは、程遠い所にあり、内心「ウゲッ…」と、後ずさり気味であったものの、気を取り直し、会話をすることにした。
ちゃんと話をしてみると、おじさんは少し酔っていた為か、ウエイティングルームやミニコンサートの時と違い、地味で真面目で堅い感じではなく、可愛らしい悪戯っ子みたいだった。

おじさんとは、波長が合い、話も弾み、昔からの友達みたいな不思議な感じがした。
おじさんも、「不思議ね〜。昔からの友達みたいね〜。」と、言っていた。
結局、そのパーティの間、ずっと二人で一緒に行動し、私が、「あそこにいる、白いドレスの美人を近所で見たい」と言えば、「一緒に名刺交換に行きましょう」と、おじさんが言い、「あの派手派手の目立つ人と話をしてきましょう」と言えば、「一緒に名刺交換に行きましょう」と、面白がって、会場中を回って歩いた。

その途中途中で、おじさんは、「不思議ね〜。昔からの友達みたいね〜。こんな事初めてね〜。」と言っていた。
お互いに、とても安心出来る、昔からの友達といるみたいな気持で、また、逢いたいと思うようになった。

今でも、思い出すと不思議な気持になる事がある。
お互いの何が、あんなに古い友達のような、安心出来るような気持にさせたのだろう?

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ブログを始めた頃の気持

最近、自分の別のブログを見てみたら、表示がおかしくなっていたので、ついでに、このブログも見てみた。
最初の頃の文章を読んでみると、何だか、懐かしい感じがした。

このブログを書き始めた頃は、大変な事態が重なっていたり、フランスおじさんに疑問を持ったり、色々苦悩している時だった。
その頃書いた文章は、まだ、1年も経っていないけれど、感慨深いものがあった。


フランスおじさんは、とても一生懸命で悪気の無い人。
とても良い人なのに、…問題があるのだ。
フランスおじさんと私、クセモノ同士がどちらも「良い人生だったね」と言えるように、ひとつひとつ問題をクリアしなくちゃいけない。

ブログという形で何やら書き残し、自分たちの言動を読んでみたら、自分たちが如何にオカシイか、また、オカシクないか、ちょっと客観的になれるかなって…考えが浅いかな?

そうだった、自分は、こんな事を思って、ブログを書き始めたんだった。
自分を見つめ直し、より良く生きて行かれるように…、なんて思ったのだったな…。


自分を見つめ直す部分は、ある程度、効果があったように思う。
二人の出来事をブログに書く為に、思いついた事をメモして、文章に組み立てて行く内に、自分は何を思い行動し、その事でおじさんは何を感じたのかと、冷静に考える事が出来る。
書き進めて行くと、自分も悪かったと思い至ったり、例えおじさんが全面的に悪くても、おじさんにとっては精一杯の努力だったと思えるようになった事もある。

ただ、最近は、フランス雑学っぽい事を書いてしまっている事が多いかな…。
おじさんの事を書こうと思っても、問題があり過ぎて、中々書けない。
本人は気付いていないけれど、おじさんの状況は、かなり、ヘビーだと思っている。
だから、おじさんの事を書きつつ、当たり障りがない方向へと逃げてしまったんだな…。

それに、おじさんへの影響も心配というのもある。
今、おじさんには、このブログの事を内緒にしているけれど、いつか、おじさんが読んだ時、きっと不愉快だろうなと思ったり、おじさんの知り合いに、“フランスおじさん”が、あのおじさんなのだとわかってしまうと、大分印象が変わってしまうだろうと思うと、書く時にどうも逃げ腰になってしまう。

相変わらず、おじさんには、疑問を持ち続けているし、自分の大変な問題も解決していなくて、苦悩もし続けているし、この先どうなってしまうかわからない。
明るい楽しい話題だけ書き続ける事は出来そうにない。

特に最近、おじさんとの時間は、無駄だったのでは無いか?
おじさんは、心が壊れていて、ちゃんとした人間関係を築く事は出来ないのでは無いか?
なるべく早めに、おじさんから離れた方が自分は幸せになれるのではないか?
などなど…。
おじさんとの関係を否定する気持が強くなる事が多い。

でも、逃げ腰になったり、更新が途切れがちになりながらも、ブログを書き始めた頃の気持を持ち続け、出来れば、二人で「良い人生だったね」って、言えると良いなという気持もある。

グラグラ揺れながら、このブログを続けているんだな…。

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誕生日のお祝い

少し前、私の誕生日だった。
フランスおじさんとフレンチレストランで食事をし、プレゼントを貰った。
日本では、毎年、お互いの誕生日に行われる、別に驚く事ではない、普通の光景だと思う。
私は、これが常識だと思っていた。

でも、フランスおじさんと出会って、私が思って来た“常識”をしてくれるようになったのは、極々最近になってから。
今年を含めやっと、2回…。
以前は、誕生日にレストランで食事をするとか、プレゼントをくれるなんて事はなかった。
最近、おじさんは、私がいなくなったら大変だと思い、自分を変えようと、頑張っているらしい。

普通の人にとっては、当たり前の誕生日の光景でも、おじさんにとっては違うみたいなんだな…。
昔の彼女達とも、前の奥さんとも、今までに一度も、誕生日もクリスマスも一緒に過ごした事がなく、当然、プレゼントをあげた事がない人なのだから…。

おじさんは、自分が子供の時、クリスマスも誕生日も、家族で楽しく過ごした事が無いので、それらがどんなものなのか、どうしたら良いのかわからないようだ。
親が居なかったとか、貧しかったと言う訳ではない。
両親が居て、別荘もあり、メイドさんも居るお金持ちのお坊ちゃんだった。
でも、母親が子供を嫌いで、子供達と接しなかった為、家族団欒の思い出が無いそうだ。
驚いた事に、一緒に食事をした記憶すら、無いらしい。

そんなおじさんだから、今までに2回しかない誕生日のお祝いは、自分を変えようとする努力の結果なのだ。
この2回の誕生日の以外の時は、私の誕生日もおじさんの誕生日も、クリスマスもこんな感じだった。
シャンパン(おじさんは、シャンパーニュと呼んでいる)を買い、近所のスーパーで一緒にいつもより少し良さげな食材を買う。
料理は、私がして、おじさんがいつもより積極的に、出来上がった料理をテーブルに運ぶ。
そして、おじさんがキャンドルに火を着け、記念写真を撮る。
…おじさんからのプレゼントは、無し。

私は、プレゼント無しの誕生日やクリスマスなんて、寂しいと思っているので、私からおじさんへは、渡していた。
プレゼントは貰えないと思っているので、メガネケースとか、今必要と思われる、値の張らないものを選んでいた。

でも、去年のおじさんの誕生日には、おじさんの古いMac用のDVDドライブをプレゼントしてあげた。
クレジットカードのポイントが溜まって、商品券を貰ったので、それで買ったのだ。
勿論、ポイントで買ったなんて、おじさんには内緒にしているので、私からの初の高額プレゼントと思い、「わ〜!いいの〜?」って喜んだ。

今年の私の誕生日は、そんな事もあって頑張ってくれたのかもしれない。
そうだとしても、前回は、何が良いかわからないからと、一緒に選んで買ってもらったので、おじさんが、自分でプレゼントを選んで、買って来てくれたということは、初めてなので嬉しい。
私を、喜ばせようという気持ちを持てるようになったという事、それを行動に移せるようになったという事、おじさん、随分変わったな〜と思う。


これを書いていて、この誕生日の祝い方にも、フランスと日本で違いがあるのだろうか?と、疑問を持った。
検索してみると、やはり、随分違いがあるようだ。

こんな事が書かれていた。

誕生日の本人が全ての会計をもち、皆にご馳走する。
そして、出席する人はそれぞれお誕生日のプレゼントやお祝いを持って参加する。

DIARIO da Brescia:自分で焼く誕生日ケーキ

他にも、フランス、ドイツの事が書かれた、サイトやブログでも、大体同じ様な事が書かれている。

フランスに詳しい方教えて下さい! : 趣味・教育・教養 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
ドイツ暮らしのレポート

また、「ブルゴーニュの日々:数字で見るフランス人:何を祝っているか」では、こんな文章を見つけた。

大人も誕生日を祝う

誕生パーティは、日本では子どものときしかしない人が多いと思いますが、フランスでは大人もやります。特に50歳のお祝いを盛大にする人が多いです。半世紀生きた、というお祝いです。 【参考: 田舎の家で開かれた誕生パーティ

また、「誰が支払うの? - 真面子の社会観察日記」では、同僚の台湾の人の誕生会のエピソードが書かれている。 その会には、日本人、台湾人、韓国人の4人が出席し、誰が支払いをするのかと揉めたとある。

台湾の誕生日を迎えた人は、「台湾では、お誕生日の人が皆にごちそうする習慣がある」…だから、自分が払う

日本は、「参加者がお誕生日の人をごちそうするのが習慣」

韓国は、「おごり・おごられの文化なので、お誕生日の人に支払いをさせる事は無いと思うし、韓国には割り勘文化は無い」
そして、「韓国は年上の人が総てお金を支払う習慣」

ヤッパリ、国によって、色々なんだね。
海外で、「今日は、自分の誕生日」だと発表してしまうと、皆の分を払わなければいけなくなる事があるって事か…。
気を付けないといけないね…。


最後に…
こんなのも見つけた。

【文化】フランス式、日本人アイドル歌手の誕生日の祝い方|コロコロザイーガ

黒い額縁に入った松浦あややおねえさんの写真の前にはクリスマスケーキ
その前になぜか日本刀が飾られているね。

…いろんな人がいるもんだ。

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フランスおじさんを褒めてみようと試みた…

年が明けて久しぶりにブログを書き出したら、続けてフランスおじさんの文句ばかり書いているな〜と気付いた。
…いかんね。
おじさんについては、不満や疑問だらけで、自分の未来を考え、どうしたらイイかと悩んでいるのは確かだけれど、悪いのは、おじさんばかりでもないでしょうし、ブログで文句タラタラなのを知れば、良い気持もしないでしょう。
マッタク、いかんね。

褒めなくちゃ…。
…と、言っても、このおじさん、とても曲者だから、ストレートにコレがこのおじさんの良い所って…ないんだな。
でも、不満やら疑問やらはあっても、このおじさんは、人生でそう何人も出会える人ではないと思っている。
なんだろ…。空気が一緒とでもいうのかな?
良いな・嫌だなと思うポイント、距離の取り方、心への触れ方…、そんなものが、とても似ている。…そういう事かな?

私もフランスおじさんも、健全な温かい家庭で育って来てはいない。
貧しかったとか、苦労したとかではなく、外から見ると良い家庭だけれど、親の性格に問題があり、家の中が壊れている言う意味の健全な温かい家庭ではないという事ね。
世間で言う、機能不全家族というものだね。

親との関係で傷付いて育って来たので、普通の人よりも、人に対して警戒感が強く、深く関わる事が怖いのではないかと思う。
私もおじさんも、「何となく自分は、普通の子供達とは違うな〜、異質だな〜」と、思いながら育って来た。

そんなだから、おじさんは昔の彼女達とも、あまり信頼関係を築けず、短期間しか付合えなかったのかもしれない。
そして、私は、昔の彼氏達とは、長い付き合いをすることは出来たけれど、付かず離れずの関係を保ち続けて来た。

おじさんも私も、人と付き合うには、適度な距離が必要なんだな…。
近づき過ぎると、重く息苦しく、離れ過ぎると信頼できなくなり、そのまま離れてしまう。
その頃合いが、難しい。

おじさんといると、とても楽だし、おじさんも、私といると楽だと言う。
私にとっては、初めての出来事ではないけれど、おじさんにとっては、生まれて初めての事らしい。
だから、おじさんは、生まれて初めて出会った、信頼でき、一緒にいて楽な人と別れたくないらしい。
「別れないね。死ぬまで一緒ね」らしい。

でも、なんてったって、母親から、まともな温かい愛情を注いでもらった事がない。だから、温かい思いやりをパートナーにしなさいったって、わからないのかもしれない。
2番目のお兄さんが、ひ弱な人で、よく風邪をひいたらしい。
そうすると、「具合が悪くて大変だな。大丈夫かな?」と、思うのでなく、「弱い人ね。ダメな人ね。」と思ったらしい。
そんな子供だったから、私が、「風邪引いて気持悪い」と言っても、な〜んにも感じないんだな。

「自分が優しくされたいのなら、相手に優しくしなさいよ!『具合はどう?』だの、『大丈夫?』だの、言えんのかい!!」と、散々言ってきたら、最近は、「大丈夫?心配だよ」と、タマに、言う事もあるような…、無いような…。
「キミは、心の冷たいプラスチック野郎だからね。人と温かい関係を続けたいなら、自分の心を温かくしなさいよ!」とも、言ったら、おじさんは、「私は、心が冷たいからね…」と、自虐的に言っているけれど、最近少しづつ、変わってきた様な気もする。

ただ、変わり方が遅くてね…。
辛抱強く、その変化を待っていられるかどうか…。
おじさんとの関係は、私の忍耐力に掛かっているんだな。

心ってのは、見えないからね。
「思いやりが大切だ。温かい心が大切だ。」そんな事を言っても、それがどんなものなのか、私だって明確にわからない。
また、国によって、表現の仕方も違うでしょうし、日本人の私が、フランス人のおじさんに、「これが正しい思いやりだ!これが正しい愛情だ!」と言って、意味があるのか…。

何をどう言ったら良いのか、どう対応したら、どう変わるのか?
それとも、前回書いたみたいに、“紳士は紳士、駄目男は駄目男”の、“駄目男”なのか?
“このおじさんは、人生でそう何人も出会える人ではないと思っている”のだよ…、出来れば、もっとマトモになって欲しいんだよ…。
それとも、このおじさん、フランス人の中では、“マトモ”なの?…マサカ、…ね?


Amazonで検索してみたら、こんな本があった。

フランス人 フランス人
(1997/10)
サリー・アダムソン テイラー

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パートナーに疑問を感じる日々

フランスおじさんとの付き合いは、大分長くなって来たけれど、知れば知る程、おじさんの良い所ってドコ?って思う。
このおじさんは、人と長く付き合い続ける事の出来ない人なのではないか?…って思う。


おじさんは、「愛している」とか、「○子、私の一番愛する人は、誰だかワカル〜?それは、○子ダヨ〜」とか、「○子、mon amour」とか…、日本人では、ナカナカ恥ずかしくてクチに出来ない様な言葉を、まあ、本当に、年がら年中言っている。

それが嬉しかったのは、最初の1〜2ヶ月位かな。
その後は、「あ〜そですか。また、クチだけかい」やら、「『誰だかワカル〜?』って、毎回、面倒臭いよ」という気持になる。

甘い言葉を言うだけで、中身が伴わない…ってのか、ナンて言うのか…。


どうやら、このおじさんは、一番愛する人のはずの私を“幸せにしてあげよう”とか、“喜ぶ事をしてあげよう”とか、“思いやってあげよう”とか、そういった、“愛する人の為に”という事は、できないようだ。
おじさんは、“愛されたい”とか、“優しくされたい”とか、私に求めて来るだけ。

本当に、求めるだけ。全く、それだけなんだな。
「対等のパートナーとしての関係ではなく、私をママ代わりにしているんじゃないの?」と、言った事がある。
「『して頂戴。して頂戴。やってくれなきゃ、ママじゃない!』と、言っているのと同じじゃないの?」と、言った事もある。
ま〜ったく!求めるだけなんだな。

相手に、求め続けるだけの…愛?
自分が幸せと思えばそれで良いのか?
おじさんの言う愛って何なんだ?と思って検索してみた。

愛について」というサイトに、様々な愛についての格言が載っていた。

私は人を愛するが、それは利己心からの自覚があって愛するのである。 つまり、それが気持ちがよく、自分を幸福にするからだ。だから、私は人の犠牲になろうとは少しも思わない。 byシュティルネル「唯一者とその所有」

…フランスおじさんと同じ感覚の人がいる (-_-;)


この格言のマックス・シュティルナー(シュティルネル)という人は、「マックス・シュティルナー - Wikipedia」によると、ドイツの哲学者らしい。
もしかしたら、この言葉には、深い思想ってものも含まれているのかもしれないけれど、その辺りは、専門家に任せ、私は、言葉の表面だけを利用して書き続ける事にする

で、続けると…
…まあ、積極的に人の犠牲になりたいと思う人はいないでしょう。
でも、自分の都合だけで、人との関係って、末永く続ける事はできるのかな?
結局の所、自分がしてきたことしか、還って来ないと思うんだよね…。
人に温かい心をあげたら、温かい心が還って来て、都合良く利用したら、都合良く利用されるだけ…って、思う。
“完全に自由”の末には、“完全に孤独”が待っているように思う。
違う?

日本の格言で「情けは人のためならず 巡り巡りて己が身のため」というのがあるじゃない。
そういうものだと思うのだけれど…。

情けは人の為ならず - Wikipedia」に、下記のように書かれていた。

「情けは人のためではなく、いずれは巡って返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い」というのが原義である。英語にも「A kindness is never lost」(親切は決して無駄にならない)とほとんど同義の言葉が存在することから、世界的にも人間がすべき道義の一つとして、この教訓が広まっている事が分かる。

世の中、利己的な人が多く、そんな人の方が良い目に合っている気もするし、自分がした情けは、必ずしも全て還って来るとは限らない。でも、自分の都合、自分の幸福の為だけを考えていては、人は離れてしまうと思うんだな。
自分のして欲しい事は、人にしてあげないと、自分にもして貰えない気がするんだけど…。


おじさんとは、時々こんな会話をしている。
私:「『私は、私は…』って、自分の事ばかり言って、だから皆、短期間で離れちゃったでしょ?
相手の気持を考える、相手を思いやる、相手を幸せにしてあげようとか考えないと、いくつになっても昔と同じように、人は離れて行ってしまうんじゃないの?」
おじさん:「私は、○子の事をいつも考えているネ〜。○子の事を愛しているネ〜。私は、幸せネ〜。」

そうじゃないんだ…。
違うんだな〜。
何故、自分の気持しか考えないのだ。
相手の気持ちをおしはかるって事は、このおじさんには無理なのかな…。

う〜む…、生涯のパートナーは、本当にフランスおじさんで良いのか…。
おばあさんになってから、後悔しても遅い…。
もう、引く手数多とはいかないでしょうが、まだ、手遅れではないかもしれない…。
新しいパートナーを捜した方が、幸せなのか?
どうよ?ホントに…。

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パートナーではなく、可愛い坊や

すごくスケジュールの厳しい仕事を続けていた。
連日明け方まで仕事をし、朝も早めに起きて仕事をしたり、時には寝ないで仕事…。
仕事をしている最中や、食事を作っている時も、景色がユラ〜っと揺れたりして、目眩しながら頑張った。
「私、もうダメかも…。ヤメちゃおうかな…。逃げちゃおうかな…」なんて言う言葉も、頭の中をサ〜と過ったりしたけど、ホント…、良く頑張った。

辛いな〜と思いながら、頑張った。
その仕事は、やっと終わったものの、虚脱…。
ブログをもの凄く休んでしまった。

自分には輝く未来があり、自分の頑張り次第で、今のこの厳しい現状は、きっと、過去の懐かしい思い出になると思って、頑張って来たけれど、頑張っても、頑張っても、大変なばかり…。
最近、精神的に疲れ、様々な事に不安を感じる。
自分のやって来た事を振り返り、未来に不安を感じているんだな。
こんな時には、パートナーに力になってもらいたい…。

パートナーってのは、フランスおじさんだね…
でも、だめなんだな…、ホントに…。

私が、辛い思いをして、無理している時も、まったく何もしないし、何もできない。
イライラしていると、「愛が無い」と、いじける。
凄く疲れて、セックスなんてしたくない時も、「セックスしないなんて、愛が無い!」、プン!
このおじさんにとって、セックスが一番大切な事らしいけれど、ナンカ違うんじゃないの?と思う。
人との付き合いは、体じゃなくて、心じゃ無いの?
何で、いつもそうなんだと、怒れば、関係は悪化するだけ。

おじさんは、自分から関係を修復するなんて事は出来ないので、私から歩み寄らなければいけない。
まともな付合いというのは、家族とも、友達とも、恋人ともしてきたことがないので、自分の思う通りにならないと、この付き合いは間違いだ、もうダメだと思うらしい。

日本に来て、ン年、「外人さん、外人さん」と、チヤホヤとされ過ぎたせいもあるのかな?
気に入らなくなると、彼女をポイポイ捨てちゃって、パーティで、調子の良い会話だけしてきたからね。
子供の頃から、チャントした信頼関係を築けなかったけれど、大人になっても、さらに、マトモな信頼関係を築けなかったということでしょうね…。

「私は、誰も信用出来ないね。信用出来るのは、○子(私)だけね」、だそうな。
でも、おじさんの言う信用出来る付合いっていうのは、パートナーとしての付き合いでは、ないと思う。

小さな子供が、ママを慕っている。
または、ママが欲しいだけなのだと思う。
何をやっても、何を言っても、または、何もしなくても、思いやりも何も無くても、どんな酷い事をしても、「ママの可愛い坊や」と、抱きしめてあげなければ、「愛なんて無い!」なのだろう。
“15年上の可愛い坊や”なんだな。

“15年上”の包容力
“15年上”の大人の魅力
“15年上”の安心感
カケラも無い…。

大変な時には、より大変にしてくれるだけの、15歳年上のおじさんなんだな。
正直、このおじさんは、一緒に歩くパートナーではなく、私の子供、または、弟。
おじさんの事は、パートナーではなく、可愛い坊やと割り切って付合えば、もう少しストレスも減るかもしれない。

それは、正しい付合い方?
…共依存ってやつ?

共依存(きょういそん、きょういぞん)とは、相手との関係性に過剰に依存し、その人間関係に囚われている状態を指す。一般的に、共依存者は自己愛・自尊心が低いため、相手から依存されることに対し、無意識に存在価値を見出し共依存関係を形成することが多い。

共依存 - Wikipedia

…これかな?
何とかしなくちゃ。

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普通って何だろうと考えた

フランスおじさんと一緒にいると、「普通」って何だろうと考える。
「普通」は、日本人にとっての「普通」、フランス人にとっての「普通」は違うので、「普通どうの」や、「暗黙の」だの、「不文律」だのは、ちゃんとクチで説明しないとお互いにわからない。
「言わなくてもわかるでしょ?」は、言わなくちゃわからない。

それが不便だとか、ガイジンさんは、理解しがたいということではなく、普通ってのは、随分と狭い考えなんだなと感じるようになった。

別に決まりきった普通である必要なんてなく、人と違う事は何も問題もなく、人って違っててイイんだと思えてくる。
ナニジン(何処の国の人)という事でなく、一人の人間同士、お互い違うものは違うと理解し合えば良いと思う。

そうは言っても、世の中では、普通とか、常識とかに合わせなければいけない場面は沢山ある。
でも、地域によって、コミュニティによって、普通や、常識は違う。
そして、それぞれのコミュニティでは、「普通こうでしょ?」、「常識でしょ?」で、皆と同じであるように要求している。とても窮屈。
何が普通で、どれが常識なのか探って、同じような人間を装い、受け入れてもらわなければいけない。

私は、職種は同じだけれども、いくつかの微妙に違う業界で働いて来た。
当たり前だけど、会社を変わると、会社それぞれの常識があり、業界まで変わると、もっと大きく違った常識がある。
前の業界で当たり前だった行為が、次の業界では、「何やってんのこの人?」になったりする。難しい。


普通とは、「普通 - Wikipedia」に記述されているように、

普通(ふつう)とは、特筆すべき属性を持たない状態の事。「特別」と対比される概念である。

というだけの意味だったら、普通じゃない人の方が魅力的な感じがする。
でも、現実には、「普通 - Wikipedia 「普通」に対する人々の認識」のように、

『普通ではない者』は、時に攻撃の対象となる。調和を乱す、足を引っ張る、利益を損なうといった理由で、集団から排斥される。

という事が多く、その事で苦しむ人がいるように思う。


私もおじさんも、子供時代から、自分がちょっと異質な存在だと感じて生きて来た。
私は、自分の何かが違うと感じ、同じに見せる為に、人の目線、息づかい、語調など、細かいサインを感じ取り、同じに見せる為の演技をして来た。

おじさんも、違う国で育ってからフランスに戻ったり、他所の子のお母さんとはちょっと違うお母さんの元で育てられたせいか、自分は、他の子とは違う感覚を持っていると感じて育ったようだ。
私もおじさんも普通を意識して生きて来た。

おじさんはフランス人で個というものが尊重される国だから、さほど問題は無かったと思う。
でも、日本だと同じでないと排斥される傾向にあるように思う。
人と違う存在は孤立してしまうので、人の様子を感じ、違う考えを悟られない様に、普通を演じ続けて来た。
だから、私は何も考えず、普通や常識を押し付ける事が出来る人は、窮屈な存在ではあるけれど羨ましくもあった。


それがおじさんと付合うようになったら、窮屈さはなくなった。
「普通○○だから、決まっているでしょ」で、自分の価値観を押し付けられる事はなくなったからだ。
けれども、自分が、説明する必要も無く、当たり前だと思った事を説明しなければならない。
説明してみると、自分が意外につまらない事にこだわって、思考狭窄に陥っていたと気づく時もある。

おじさんは、“普通”は、本当に普通なのかと考える良い機会を与えてくれたと思う。
へそ曲がりのクセモノおやじだけど、私の狭い価値観を広げてくれて、感謝している。


今回の書いた内容に、タイトルがぴったりの本。
でも、Amazonでは、ユーズドしかない…。

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愛はパッション

おじさんは、殆ど怒らない。
普通の場合は、気に入らないと、軽くプンとする位で、声を荒げたりしない。
そして、私の事をすごく愛しているらしい。
「嫌いな所はないね。こんなに人を好きになった事はないね。初めての経験ね」だそうだ。

…全てがこの言葉通りなら、多少の問題は我慢できるだろうし、私の不満ももっと少なくて済むだろう。

おじさんは、ただ一つ、猛烈に機嫌が悪くなることがある。
要求があった時にセックスさせないと機嫌悪く、別人の様に冷たいオヤジになってしまう。

この機嫌が悪い時に、文句を言うと、人形の様に無表情な冷たい顔を意地悪く歪め、「ふん!愛が感じられない」と言い放つ。
具合が悪かったり、生理中の時も、させないと、「愛が無いから、拒否をした」と感じるらしい。
こんな時は、まともな会話にならない。だから、機嫌が直ってから、文句をいう。

このおじさん以外のフランス人とは付合った事がないので、平均的なフランス人像というのは判らない。
おじさんが精神的に未熟で問題があるのかもしれない。
でも、私にとってのフランス代表の、このおじさんのセックスに対する執着というのは理解ができない。

愛ってのは、心ではないのか?
行為がそんなに大切なのか?
生理の時もしなくちゃいけないのかい?

第2回 フランス年間137回、日本は47回……みんな、したいだけセックスしてる? - セックスライター・タビサの宝石箱 | カフェグローブ」や「パリノルール blog: 年間セックス回数、フランス人が堂々1位に」には、こんな数字が書かれていた。

セックス回数、フランス人が位で137回、日本が最下位で46回(47回?)

やっぱり、フランス人は、セックス好きなのか…。
「セックスライター・タビサの宝石箱」の記事の中には、こんな記述もあった。

セックスへの欲求の強さは人種によって異なるっていう説もある。とくに東アジア人は白人や黒人に比べてセックスへの興味が薄いとかいう説。

でも、“持っているセックス・トイ(玩具)の数が日本が世界平均より多い”らしい…。

TVを見ていたら、キスの回数も、世界の中では、日本人は最低レベルと言っていた。
きっと、日本とフランスでは、愛に対して、求めるものが違うんだな。


「パリノルール」の方の記事では、「世界セックス調査(Global Sex Survey )」の2004年度の集計結果から、こんなまとめをしてあった。

日本が際立っている項目をつなげて作文してみました↓ 「セックスしてもあまり満足できない(下から5位)ので、相手を変えてみるものの(3位)、あまりHはしておらず(トップ)、男性用ピルがあったとしても飲まない男が多い(2位)のに、相手の性歴も聞かずに避妊具なしでやっちゃう(3位)んです、私たち」 ……って。あんまりハッピーじゃないようで。

き…、きっと、日本とフランスでは、愛に対して、求めるものが違うんだな。


そして、生理中のセックスについては、第12回 するべきか、しないべきか、セックスと生理の悩ましい問題 - セックスライター・タビサの宝石箱 | カフェグローブに、生理の時のセックスについてのエッセイが書かれ、気にしないで欲求のままに、行為に及ぶ恋人達の様子が書かれている。
これは、欧米の男女だからなのか?日本でも、OKなのかな?
私は、正直、その行為の様子を想像したく無い。グロテスクなイメージがあり、オエッと思う。


欲求のままに行為に及ぶのは、自由で、何事にも捕われない大きな愛みたいな事もこのエッセイは書かれているけれど、生理中のセックスは、女性の体的には、良く無いらしい。

>> Dr.アカエダのガールズ・クリニック カラダの悩み相談室には、

生理中のセックスは絶対にしてはダメ!

と書かれている。
その理由は、下記。

生理中は子宮の内膜が露出し、雑菌にとりつかれやすい状態になっています。そんなときにセックスをして、外部から菌が侵入したら、子宮内膜炎、卵管炎、腹膜炎などを起こします。

他にも、同様の事が書いてあるサイトも見つけた。

>> これって不正出血?-2.生理のメカニズム【バファリン ルナ】 Q.生理中にセックスすれば妊娠しないと聞きましたが、セックスすること自体に問題はありますか?
>> 健康さっぽろ21 もし、心配になったらQ&A Q.生理中にセックスしてはいけませんか?

女性の体の事を考えると、「何事にも捕われない大きな愛」ではなく、自分の欲望しか考えない思いやりも責任も無い行為なのだ。


おじさんは、「愛は、パッション」と言う。
そして、その「パッション」の表現は、「セックス」なのだそうだ。
だから、「愛は、セックス」で、「セックスの無い愛は、ありえない」のだそうだ。

フランス人は、これを聞いてどうなのだろう?
「こんなフランス人は、少ないよ」なのか?
「フランス人は、皆そう思う。愛は、パッションだ」なのか?
私には、思考が単純すぎて、動物的だと感じる。


人と長く付合うってことは、「パッション」だけではなく、信頼とか思いやりとかもっと違うものも必要だと思う。
情熱的な愛で始まったとしても、そのまま一生その情熱(パッション)を持ち続けるのは難しいと思う。
時間と共に、愛の形は変わり、もっと穏やかに深くなっていくものではないのかな?

おじさんは、「私は、ずっとパッションを持ち続けるね」と言っているけれど、どの恋人とも、みんな短期間で終わっているらしい。
私が初めての、良好な関係のまま、長く続いている人間らしい。
人と長い付き合いをしたことがないからわからないのでないかな?
みんな短かったということを考えると、「愛はパッション」ではなかったんだな、きっと。
おじさんは、「愛を夢見る子供」なのではないのか?
そう感じる私がおかしい?
愛の感じ方とか、表現方法とか、正しい答えは無いしね。難しいね。

でも、相手が具合悪くても、思いやるよりセックスの方が大事ってのは、どうなのよ?おじさん。
パッションの為に、愛を壊すの?


Amazonで検索してみたら、フランスおじさんにも読んで聞かせたい本が出て来た。

彼には内緒私たちのセックス白書 彼には内緒私たちのセックス白書
二松 まゆみ、須藤 なほみ 他 (2007/07)
小学館

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レビューには、下記の言葉があった。
一見、女性向けの本ですが、男性にとっても学びの多い一冊。
いろいろな女性の声や統計的データが紹介されていて、 今まで自分がなんとなく感じてきた違和感やパートナーへの不信感が、 自分だけの悩みではなかったんだということがわかり、 なんだか頭の中がすっきりしました。

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ゴミ奮闘記 v3

フランスおじさんの家は、ゴミだらけで、どんな言い方をしても、何をやっても、本当に何にもかわらない。
ゴミ問題以外の問題も、おじさんは沢山抱えている。

本当に曲者(クセモノ)おやじなのだ。
このおじさんは、ダメか?と何度も思って来たし、付合い続けても、時間の無駄かな?と、何度も思って来た。

それでは、おじさんの文句を書いている私はどうなのかというと、私も、とても難しいタイプだと思う。
表面的には、難しい人間の顔を出さない様にしているので、気がつかない人も多いし、中には、「貴方は、能天気でイイネ〜」何ていう人もいるけれど、私も、相当の曲者なのだ。
自分と感覚が合う人間を探すのは、とても難しい。


でも、おじさんとは、育った環境からの心の傷のとか、何かベースにあるものが同じであるような気がしたり、クチで言い表せない小さな心の波長が同じ様な気がして、紆余曲折ありながら、長く付き合い続けている。
今までも、いくつかの恋愛はあったけれど、「何か、違うな…、でも、まあ、こんなものかも」という感じだった。

小さな波長までもが合い、お互いの求める距離感が同じ様に感じる人は、あまり多くない。
過去に、そんな人は、一人しかいなかったし、多分、一生の内に、そう何人も出会える人ではないのだと思っている。

しかし…、だからといって、ゴミ屋敷は、我慢ならない。
でも、どうにもならない。
どうすれば、イイのだ?
ベースにあるものがとても近く感じても、波長が合っても、あまり出会わないピッタリな人だと思っても、ゴミ屋敷は我慢ならん!


おじさんが変わるか、私が変わるか…。

おじさんを変えるのは、難しい。今までも、頑張ったではないか。
じゃあ、私が、変わる?
ゴミ屋敷居でも平気になる?
…無理!


そんな事を、ズ〜ッと考えて来た。

そしたら、「大原さんちのダンナさん - このごろ少し神経症」という本を見つけた。
大原さんちのダンナさんの強迫性障害の様子を面白く、わかり易くエッセイマンガにしている。

強迫性障害 - Wikipedia」を見ると、このように書かれている。

一般的な強迫症状 強迫症状の内容には個人差があり、人間のありとあらゆる心配事が要因となり得る。しかし、比較的よく見られる症状があるため、これを下記に記す。これらの症状についても患者自身の対処(強迫行為)の内容は異なり、一人の患者が複数の強迫症状を持つことも一般的である。

そして、以下、症状のみ抜粋。

不潔強迫/確認行為/加害恐怖/被害恐怖/自殺恐怖/縁起恐怖/不完全恐怖/保存強迫/数唱強迫

「強迫性障害 - Wikipedia」で、“一人の患者が複数の強迫症状を持つことも一般的である。”と書かれているように、大原さんちのダンナさんも、複数の強迫症状を持っている様子。
おじさんは、この強迫症状の中の「保存強迫」ってやつだな、きっと。


「大原さんちのダンナさん - このごろ少し神経症」という本は、大原さんちのダンナさんが魅力的な性格の持ち主ということもあり、面白く、爆笑ものの本になっているけれど、大原さんちのダンナさんの抱える精神疾患は、結構深刻だし、万人がこの大原さんちのダンナさんとの生活を続けられるものでは無いと思う。
…奥さん、エライね。


私だったら、大原さんちのダンナさんと出会ったらどうなのだろう?
今の私みたいに、「パートナーがおかしな事をやっちゃって、何とかせねば…」と悩むのだろうか?
私もこの著者の大原由軌子さんみたいに、もう少し違った視点でおじさんを見て、ゴミ屋敷について考える事は出来ないかな?


強迫性障害 - Wikipedia」には、このような事も書かれている。

人種や国籍、性別に関係無く発症する傾向にある。調査によると全人口の2%前後が強迫性障害であると推測されている。

全人口の2%前後って、結構な人数。
猫まで、なってしまうらしい。

強迫神経症・強迫性障害について -話しませんか?」というサイトも見つけたし、強迫性障害って何なのかもう少し勉強して、自分も変わって行こうと思う。

でも、「治療について」何てのも記述されている。
ヤッパリおじさんにも変わってもらおう!
…これでは、今までと同じかな?


文章中に出て来た本

大原さんちのダンナさん—このごろ少し神経症 大原さんちのダンナさん—このごろ少し神経症
大原 由軌子 (2006/01)
文芸春秋

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やって貰って当然!だって、ママだもん!

人に親切にしてもらうと、感謝をする。
それは、ほとんどの人がそうだと思う。
でも、相手から何かをして貰った時、当然と思うようになってしまう人がいると思う。

この、「して貰って当然」と思ってしまうタイプの人は、1やってもらったら1は、やって貰うのは当然なので、やって貰えないと不機嫌になる。そして、次の要求は2になる。勿論、2をやって貰ったら、2をやって貰えなくなると不機嫌になる。そして、次の要求は3で…。
一生懸命やったって、不満を言われるし、要求は厳しくなるばかり。ハードルが高くなるばかりで、相手はどうせ喜ばない。
やっている方は、段々馬鹿らしく思ってくる。

残念な事に、私の母親がこの「して貰って当然」タイプ。
やっても、やっても、やっても、文句ばかり。
そして、「あれやって〜。これやって〜」。
何年か前までは、「私が一生懸命やっている事が、いつか、わかってもらえるだろう」と頑張った。
言いたい事があっても言わずに、ジーッと我慢した。

でも、要求を聞き続けている内に、やらなければならない事がどんどん増えた。
やっても、やっても、やっても、やっても…、この人には、何をやっても無駄で、やればやる程、やらなければならない事が増え、文句ばかり…。

いつの間にか、我が侭な小さな子供が、手を差し出して、「やって!」と言っているような状態になってしまった。
そして、「違う!私が言った『やって!』は、これじゃない!!」と、文句を言われる。
…正直、もう、耐えられない。無理。
この人とのまともな人間関係なんて、期待できない。距離を置こうと思った。

…と、フランスおじさんに話した。
そして、「マ・サ・カ…、同じじゃないよね?」と、おじさんに言った。
「何でも言う事を聞いてくれて当然。何て思ってないよね?」
「今、私達は、パートナーとしてのフィフティ・フィフティの付き合いなの?私をママにしようとしていない?」などとも言った。

おじさんは、私より15歳年上なのだ。
15も年上の子供に、ただ甘えられるだけではたまらない。

「おじさんさ、ただ甘えて便利に使って、『言う事聞いてくれないなんて、ボクのママじゃない!』何て事してちゃ、みんな逃げちゃうよ。誰かと、ちゃんと長く付合いたいなら、相手に自分のママになることを要求するのやめたら?」
「私は、15歳年下のママじゃない!」と、言った。

それから、およそ半年。
おじさんは、私とのより良い関係を作ろうとしてくれている。少しづつ、良くなって来ている気がする。

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ゴミ奮闘記 v2

フランスおじさんの家は、プチゴミ屋敷で、それを奇麗にする為に奮闘しているということは、以前書いた。
何をどうしてもゴミ屋敷のまま何にも変わらない。

そこで、最近は、「ほ〜ら。奇麗にすると気持いいでしょ?」作戦をしている。
キッチンとかお風呂とか、ピカピカにしているのだ。
お風呂は、カビていたゴムパッキンとかがピカピカになると、見違える様になる。

おじさんは、「わ〜!奇麗になったね!」と喜んでくれた。
「ね?奇麗にすると、気持良いでしょ?」と、と言うと、暫くは、「奇麗になった」、「凄いね」、「気持良いね」と、喜んでくれたけれど、その内に、
「あ!ここは?」、「あ!こっちは?」と、まだ奇麗になっていない所が汚いと指摘し出した。

「あ!そこは?」、「あ!そっちは?」って…、
ウルサイってんだ!
「そこは、マダなの!一遍にできないの!」

まあ、そんな事もあったけれど、色々な所が奇麗になって来て、おじさんは気持が良いらしい。
だけど、肝心のおじさんが溜め込んだ物には、何も関心を示さない。

「おじさん、おじさん。ここも奇麗にしたくなったら、言ってね。いつでもお手伝いするよ〜」と何かの度に言っているのだけれど…。
何とかならないかな?本当に!
他に方法も無いし、しばらくはこの作戦で行くかな…。

良い解決方法はないかなと、Googleで、“物を溜め込む 精神 強迫”で検索。
物が捨てられない病」というのがヒットしていた。
2chだったけれど、Google画面で“立派な強迫神経症の一種です。冗談抜きで、精神科で一度見てもらいましょう。”という文字が見え、気になった。
2chって、すごく役に立つ時と、見なきゃ良かったと思う時があるので、ちょっと迷ったけれど、確認しておくかな…。

気になった書き込みは、

59 名前: おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 01/10/08 10:14 ID:9.J.YQDo

捨てられないからって、部屋がゴミだらけになるまで捨てないのは
立派な強迫神経症の一種です。冗談抜きで、精神科で一度見てもらいましょう。

だった。

私は、ここまでの状態を心配して、検索する時に、“物を溜め込む 精神 強迫”にしたわけではなく、何か脅迫的な思いがあるのかな?と思っての言葉だったのだけれど、強迫神経症の一種?どうなのかな?そうなのかな?

そして、

131 名前: おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 01/11/01 23:03 ID:9YEeArcH

書類と本が捨てられない。
資料だと思うと週刊誌も捨てられないし、新聞さえ捨てたくない。    本は何時の間にか増えてる。
頭に入らない分、現物でとって置くンだな。
しかし、これから全部読むとはとても思えない。
別に無くたっていいのに、捨てる気になれない(涙

という書き込みもあった。
おじさんも同じ気持なんだろうなと思うと、ちょっと切ない。
きっと、何か、どうしても心配で、不安なんだよね…。

結局、解決方法や有用なURLは、見つからなかった。
逆に、物を捨てられない人達の気持を読んじゃって、ちょっと切なくなってしまった…。

他にも2chがヒットした。「汚部屋から脱出したい!」というスレッドが、現在、第90章まで立っているみたい。

そ〜か〜…。
簡単に直るような事でないのかな…。

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おじさん、ありがとう

フランスおじさんは、フランス人だけあって(?)褒めるのが上手だ。
つい、その気になってイイ気な事を言ってしまい、ハタと気づき、おじさんの顔を見るとちょっと困った顔をしたことがあった。
…おじさん正直者だからね。それ以来、勘違いして踊ってしまわないように、「これはお世辞だ」と自分に言い聞かせている。

言い聞かせても、何でもかんでも褒めてくれるので、段々その気になってしまう。
親にまともに褒めてもらった事がないので、やっぱり嬉しい。
最初のうちは、「いや〜、そんな事無いよ」だの「クチが上手いな〜」などと言っていたけれど、最近は、「ありがと」と受け入れる事にした。
勘違いしているということではなくて、折角褒めてくれているのだから、お礼を言って、嬉しいと表現した方がいいかなと思ってね。

褒めてもらえるという事は、こんなに気持の良いものなのかと、イイ年して実感する。
分かっている事でも何でも言葉にして、してもらった事にはひとつひとつ、お礼やら感謝の気持を言葉にすると、何だかこんがらかった私の心が解れ、少しづつ楽になっていくような気持になる。

「国際カップルは、コミュニケーションが大事ね」とおじさんが言っていたけれど、国際カップルだけでなく、国内カップルだってヤッパリ、分かっていたって言葉にして理解を深め合ったら、誤解は少なくなり、気がついたら大きな溝が出来ていた何て事はなくなると思う。
おじさんと出会って、本当にコミュニケーションの大切さというものが分かった。

おじさんは、よく「私は、付合って来た女の人とコミュニケーションしたことはなく、ちゃんと話をするのは、○子が初めてね。話をするのは大切ね。私は、目が開けたね」と言う。
私は、昔の彼氏ともよく話をしたけれど、以前「以心伝心で愛を伝える?」で書いたように、私とおじさんが“高文脈言語と低文脈言語”という、言葉に対する意識の違いのせいか、今までとはコミュニケーションの種類がちょっと違い、普通なら言わなくていい言葉の大切さというものも感じる。

恥ずかしくても、“好意を伝える”、“相手を褒める”、“感謝の気持を伝える”、これらを言葉にして伝えると、暖かい感情が流れやすくなると思う。
こんな当たり前の様で、何となく言っていなかった事を気づかせてくれて、おじさん、ありがとう。

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ライトでハッピーな人間関係

フランスおじさんは、仕事柄大勢の人に会い、友達は沢山いるし、社交的に見えるので親しそうに話をしているが、大体は顔も名前も覚えていないらしい。
「友達は沢山いるね」と言っているが、「彼とは、○○のパーティでとても親しく話したね。だから友達。」と言う。
一度話をすると友達?
それは、“知り合い”または、“話をした事のある人”と呼ぶのではないか?

幼い頃からこのような付き合いをし、喧嘩をした事は勿論ないし、自分の気持ちを話し合うこともなく、プライベートな事を話した事もないそうだ。
つまり、パーティで初めて会った人との会話のようなことだけをして、生きて来たという事だね。

また、日本に来てからは、相手が何を言っているかわからなくても、カタコトで「スバラシイデスネ」、「スゴイデスネ」、「ワタシたちはナカヨシね」などというと相手が喜ぶからか、そんな言葉ばかりで済まして来たようだ。

日本に来て、何十年も経っているし、「今話をしているのはほとんど日本人ね。ガイジンさんとは、話す事少ないね」と言うし、前の奥さんは、日本語しか話せない日本人だったというのに、何でこんな日常的な簡単な日本語もわからないの?という時もある。
今までどんな会話をして来たの?と驚いた。
付き合い始めた頃は、そんな、日本に来たばかりのガイジンさんみたいな言葉を言っていた。

フランスおじさんが電車の中で、「ワタシたちナカヨシね〜」とデカイ声で言う。
近くにいた、男の人が、チラリと私の顔を確認した。
その場では、「恥ずかしいんですけど…」とだけ言って、話を止めた。
でも、帰って来てから、「何が『ワタシたちナカヨシね〜』だ!日本に何十年もいて、そのカタコトは何!」と文句を言った。

私と会話して、簡単な日常の日本語もわからない時は、
「え?そんな簡単な言葉もわからないの?調子のイイ、上っ面の会話ばかりして来たからじゃないの?ちゃんと会話して来なかったからだよ!」などと言われ、おまけにこの話どうでもイイヤって思って、「スバラシイね!」なんて言ったら、「何がスバラシイの?テキトーに返事をするんじゃ無いよ!」などと怒られる。
可哀想なおじさんは、こんな風に言われ続けて来た。
そんな事を繰り返して来たら、その内、日本に来たばかりのガイジンさんみたいな事は言わなくなった。

今まで、フランス語を話す人とは付き合った事は無いらしい。
また、日本語しか話さない彼女というのも、何人もいたらしい。
前の奥さんも、日本語しか話さない。
それなのに、何故、「スバラシイデスネ」「スゴイデスネ」「ワタシたちはナカヨシね」なのか?

「ちゃんと会話しなかったの?」と聞いたら、「だって、趣味合わなかったし」だって。
趣味の合わない彼女や奥さんと会話をしないで生活して来たの…?
「私は、今まで自分のプライベートを話したことナイね。話をするのは○子が初めてね」だって。
「スバラシイデスネ」「スゴイデスネ」「ワタシたちはナカヨシね」で、彼女とも奥さんとも済ませて来たという事?
…それじゃあ、離婚するよね。
調子のイイ、上っ面の会話をして、面倒な会話にならないようにして、うっかりヘンな事言っちゃって相手が怒ったら、ヤダヤダって別れちゃって…、だから、イイ年して自分が何やっているのか、何言っているのかもわからない未熟なおじさんが出来上がってしまったんだな。

人とちゃんと向き合って付き合い、喧嘩をしたり、悩んだり、苦しんだりしないと、人って成長しないんだなと実感。
“No pain, no gain.「痛みなくして得るものなし」”てやつだね。

おじさんは最近、「サイコロジー(Psychology:心理学)を勉強したいね」と言っていた。
これは、良い兆候なのか?
それとも、文句を言われ過ぎて、悩んでるのだろうか?
痛みが多すぎたのだろうか?

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ゴミ奮闘記

フランスおじさんの家は、プチゴミ屋敷。
何をどう言ってもゴミ屋敷のまま。

文句を言ったら、「プレッシャーはイヤネ」と逆効果。
プレッシャーにならないように、私の心情を言ってみても、「そーね、ゴミは嫌な感じね」だの、「私もゴミは嫌いね」だの言うけど、何も変わらない。
おじさんのココロに迫って、「寂しく不安だからってゴミだらけにしたら、人は離れて、余計寂しくなるんじゃないの?それでイイの?」と、脅かしてみても、何も変わらず…。

どうも効果が見えない。どうしたらイイかな?
もしかしたら、これが日常だから、このゴミが目に入らないのかもしれない。
日常でなく、突きつけられたらどうだろう?写真を撮っておじさんに見せてあげたら、少し、客観的になるかも…。

そこで、…冗談半分ではあるけれど、ゴミ部屋コラージュを作った。
おじさんに見せたら、「わ〜、面白いね。ゴミがすごいね。」と喜んだ。
私が、「コレを見て、どんなにこの部屋が酷いか、ココロに刻むのだぞ!」と言ったら、毎朝見ているらしい。
見始めた頃、「ヘンな夢を見るよ」と言っていた。
しかし、効果はわからない。
そして、ゴミは減っているように見えない。

どうするのが良いのかな?
刺激を与えるのでなく、ココロの安定が必要なのかな?
安心できるココロの拠り所?

良い方法はないかGoogleで検索してみた。
もしかして私、「片付けられない人」? - [シンプルライフ] All About」を見つけた。

え?おじさんもしかして、ADHD(注意欠陥多動障害)?
おじさんは、知能は標準またはそれ以上なのに、以下が当てはまる…。

・ものごとに優先順位をつけるのが苦手
・整理整頓が苦手
・忘れ物・失くしものをしやすい

全部読んでみたら、違うようだった。おじさんは、ADHDではないようだ。
じゃあ、何だろう?

もっと探していたら、「片付けられない女の夫」というサイトを見つけた。
自分の片付けられない人の家族としての感情、嘆き、怒り、やるせなさ、等々を書いている掲示板らしい。
広告攻撃の標的になりましたということで、2006/06/28に、“書き込みできなくしました。”とあり、現在は止まっている。
結構悩んでいる人、いるんだね。
でも、解決法は載っていない…。直らない?
何をすれば直るかな?


こんな本を見つけた。おじさんはADDではないみたいだけど、読んで勉強してみるかな?何か、解決方法が載っているかもしれない。

「わかっているのにできない」脳〈1〉エイメン博士が教えてくれるADDの脳の仕組み 「わかっているのにできない」脳〈1〉エイメン博士が教えてくれるADDの脳の仕組み
価格:¥ 1,800(税込)
発売日:2001-09

レビュアーの方のコメントで下記があった。

24歳の男ですが、長年部屋は散らかり放題、忘れ物はしまくり、何一つ完成させたことはない、注意力散漫、衝動的に行動し、無計画な「性格」だと思って悩まされていました。「自分は無能で、やる気がなく、価値がない人間なんだ」とも思い込み、特に職を失い、彼女を失った最近は深刻でした。

しかし、この本を読んで、実際にADD専門の先生に見てもらい、今まで悩んでいたことは「性格ではなく、脳のちょっとした機能障害で、視力低下みたいなものなんだ」とわかってからは、人生が180度変わり、前向きに生きられるようになりました。

「部屋が散らかり放題」「人生うまくいかないことばかり」という方、ぜひ読んでいただいて、奇抜で発想豊かな才能を発揮してください。

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人の気持を想像出来ない人

フランスおじさんの想像力というものには、疑問を感じることがある。
自分が言った事がどんな意味があるのか、わからないらしい。
自分がやったことで相手が怒っても、「怒るなんてやな奴だ」それだけなのだ。

フランスおじさんが昔、社長でリッチマンだった頃、彼女というものに困らなかったらしい。
「私は、何故か彼女をよく怒らせたね」と言っていたが、「相手が怒ると嫌な感じと、すぐカットしたネ」だそうだ。
“自分が怒らせておいて、自分のした事を考えず、また他を探すからイイやと別れる”というのを繰り返したらしい。

だから、イイ年して今でも自分が相手を怒らせても、何故怒らせたのかわからないおじさんが出来上がってしまった。
また、“人の気持ちを考える”がわからないらしい。
「同じ事をされたらどう思う?」と聞いても、その言葉だけでは、想像ができないらしい。

“どう考えてもおかしいでしょ”という事を私がされ、怒っていても、「何で?」と聞く。
このような事を貴方はしたので、私はこのように不愉快だとできるだけ冷静にわかり易く話をしても「何で?」と聞く。
「自分が同じ事をされたら?」と聞いても、「私は、怒らないね」と言う。

もしかしたら、“同じ事をされたら?”が想像できないのかな?と思い、“私”と“フランスおじさん”を入れ替えて話をしてみた。
「もしも、私が貴方に、コレコレをして・・・」と話をすると、
「それは、イヤネ」やら、「怒るね」などと返事をする。

「じゃあ、私にしたことは、どうなの?私は、怒るでしょ?」と聞くと、
「そうね、怒るね。私は悪い事をしたネ」ということになる。


不思議で仕方ない。
何故このような話し方をしないと、相手の気持ちを想像することができないのだろう?

私の知り合いにも、昔、同じような人がいた。
その人は、自分が何をしても、自分が何をしてしまったか理解出来ず、相手を怒らせても、相手が何故怒ったのか理解出来なかった。
相手の感情の動きを理解できないので、呆れて自分の前からいなくなっても、何故いなくなったのか理解できない。
だから、その知り合いは、「突然、人が変わって私の前からいなくなる人が多い。私は、人間が信じられなくなるね」と、言っていた。

私も、突然、人が変わって、この人の前からいなくなった。
私が、この人との付き合いを止めようと思った頃は、もう、この人の周りの殆どの人が付き合いを止めていた。
そんな事になっても、きっと、この知り合いは、自分が何をしたのか解らないのではないかと思う。

おじさんには、このままでいて欲しくない。
自分のした事は、自分に返ってくると言う事をわかって欲しいと思った。
だから、この知り合いの話を、おじさんに聞かせた。

話の途中に、「何でもかんでも人のせいにして、相手の気持を考えるだの、自分がした事を考えるだのしないと、こんな風に皆いなくなっちゃうよ」と脅かしてみたり、「自分がした事の責任というのは考えないとね」だの、「相手の気持を考える事ができないなら、自分と相手を逆にして考えれば良いんじゃないの?」などと言ってみた。
そしたら、おじさんはこう言った。「そうだね。その人みたいになりたくないね。」

おじさんは今、思考錯誤して思いやり溢れるパートナーになろうとしてくれている。


Amazonでこんな本をみつけた。

わたしのせいじゃない-せきにんについて わたしのせいじゃない-せきにんについて
価格:¥ 945(税込)
発売日:1996-01

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タイトル変更

タイトルを少し変えた。
書き始めた時、タイトルは少し意地悪な心が混じったものだった。
ふたりのトラブルの原因は、大体がフランスおじさんにあり、私は、被害者の立場でいることが多いと思っていたから、その気持ちをタイトルに入れてしまったのだね。

でも、このブログを初めて1週間ちょっと。
書くネタを考えて、テキストエディターに思いつく事をメモしていると、私にも大分、非があるというのがわかって来た。

トラブルは、お互いに問題があるからトラブったという当たり前の事に気がついた。
というより、自分の非を認めるのが癪に障るので、認めたくなかったのが、文章にして言葉を探しているうちに冷静になれたという感じかな。

この調子で書き続けたら、認めたくないもの、自分の中の良くないものなど心の澱が、明確に見えるようになるかな?
人の非はばかり見てないで、自分を何とかしなくちゃ。自分の不運の原因は、ヤッパリ、自分の中にあるんでしょうから。ホントに何とかしなくちゃ。

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フランスおじさんのママ

フランスおじさんは、優しいママが欲しいのだと思う。
彼のママは、どうやら子供達の事は全てメイドさんに任せ、一緒に食事をしたことさえないらしい。
家族の暖かい思い出というものも、無かったらしい。…私の家も似たようなものだけど。

だから、おじさんは、ママの代わりを求めているようだ。
何でもやってもらって当たり前だと思っている。

おじさんは、ごく普通の日常の事もちゃんとできない。
自分で顔や体を洗うという事さえ、マトモにできない。
何度言っても、どうしても、シャワーの水をシャシャッと掛けるだけで終わらせてしまう。
身体を洗うと言うより、濡らているだけ。

だから、イイ年してニキビがいっぱい。
昔は、顔まで石鹸で洗ってあげた。
「顔を洗いましょう」と手で泡を作り始めると、甘えた嫌そうな顔をして、「アオイ目は、弱いネ〜。アオイ目は、弱いネ〜。」と騒ぐ。

あんまりうるさいので、最近は、顔を洗うのは諦め、体だけ洗っている。
「洗ってくれるから、ヒザが痒くないね〜」などと喜んでいる。
「ヒザくらい、自分で洗えば!」と言っても、シャワーの水でシャシャッと体を濡らすだけ。
仕方ないので、ヤッパリ洗ってしまう。

また、その後が面倒。「クリーム塗って」と私の周りをウロウロ。
「ココに、クリームを塗って」とヒザを指差す。
「自分で塗れば?」と言っても、「塗って…」と、待っている。
何度も私の周りにやって来て、「クリームを塗ってもらうと気持良いね」などと、待っている。

あんまりうるさいので、「ホラ!ヒザ出して!」とつい塗ってしまう。
結局、こんな感じで、色々やってしまう。
ママを求めているおじさんも、色々やってしまっている私も、どちらにも、問題があるのでしょうね。


「愛と共依存」 週刊!エキサイト | Excite エキサイト : ニュースに、以下の事が書かれていた。

サト研究員 先生。私が最も気になるのは、共依存と恋愛感情の違いです。たとえば、マンガ「だめんず・うぉ〜か〜」に出てくる人みたいにダメな男ばかり渡り歩いてしまうのは共依存的といえる?

斎藤先生  それは共依存者ですね(きっぱり)。

…何とかしなくちゃ。

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フランスおじさんのゴミ屋敷

フランスおじさんは、色々な物を持ち込んでは、部屋に溜め込んでしまう。
家の中は、ゴミ屋敷みたいになっている。

「コレは、必要な物なの?」と聞くと、「要らない物ネ」
「じゃ、捨てようよ」と言うと、「ウ〜ン、イヤネ」
「いらない物を置いておくことないでしょ?」と言うと、「捨てるのは、イヤネ」
「家の中をよく見て見たら?」と言うと、「ソウネ。コノ家は、オカシイネ。」

解っとるなら何とかセイ!なのだ。
何故、出来な